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禁無断転載


警視庁警視総監殿
これから申し上げることは信じていただけないかもしれませんが、私は嘘偽りを申し上げているわけでも、いたずらとか、不真面目な気持ちと動機で、書いているのではないことをご理解いただきたいと思います。
私は今現在、非常に苦しい状況の下に置かれており、自分自身の力では、そこから逃れることも誰かに助けを求めることも不可能な状態にあります。警察さえも私にとっては信頼できる対象ではないため、こうして直接、警視総監に宛ててお願いする次第です。
私は、ある公的機関が行っている活動によって、一方的に被害を受けているのですが、それは違法行為あるいは犯罪、および暴力として立証することが非常に難しく、私にはこれよりほかに助けを求める方法を思いつきませんでした。始まってからまる4年になります。
この件について、事情を聴いていただきたいのは、東京都中目黒の麻薬取締捜査官事務所と、東京都文京区の本富士警察署、港区麻布署、そして現在私が住んでおります地元の長崎署、私がはっきり名前を挙げられるところは以上です。
詳しくご説明すると、大変長くなってしまいますので、詳しいことは、麻取事務所およびこれらの警察署の責任者の方に尋ねていただければ、多分何らかの回答をしていただけると思うのですが、非常に難しい問題も含んでおりますので、回答がどういった形になるかは、私も危惧するところではあります。私が、地元の警察にも訴えず、直接、警視総監にお願いしなければならなかったということは、ある特殊な事情がからんでいるためです。
時間がないので、手短かに申し上げますと、厚生省麻薬取締捜査官事務所と、警察内部の不祥事が発覚する恐れがあります。なぜかというと、私はその不祥事の証人だからです。
このことだけでも、私が唯一取りうる方法が、これしかなかったことをご理解いただきたいと思います。こういうことを嘘偽りで言うのであれば、それは国家権力というものを恐れない、よほどの身の程知らずか、非常に浅はかな行為です。私は何の力もない平凡な一市民であり、国家権力を敵にまわそうなどとは、毛頭思っておりません。私が偶然知ってしまったことも、できることなら知りたくもなかったことなのです。問題は、不祥事を起こした側が、私という証人の存在を知ってしまったことにあります。
私にとって事件の始まりは4年前になりますが、当時から、関係者と関係各機関のそれぞれの立場や複雑な事情が皮肉に絡み合い、利害関係や体面も加わって、事件としては非常にわかりにくい構造を呈していました。はっきりしているのは、私(だけ)が、唯一の被害者であり、証人であるということです。この事件において、関係する人間の数は非常に多いのですが、今のところ明らかに、被害者は私ただ一人であり、それに対して加害者は、多数というより、巨大な権力であるという事実が、長い間私に沈黙の選択をさせました。
私としては、このような行動はとりたくありませんでした。しかし、沈黙していれば、私はどこまでも苦しい状況に追い込まれていき、この暴力は終わらないと気づきました。
勇気を持って行動を起こす以外道はなく、私のほかには誰も、きっかけをつくることができないと昨日気づき、いったい今の私にできることは何かと必死に考えた末、警視総監宛てに直接を手紙を郵送することが最善の方法と思えました。極端な発想と思われるかもしれませんが、私はすでに厳重な管理の下に置かれておりますので、インターネットを使うことも、電子メールの送受信も自由にできない有り様です。電話も盗聴されていますし、郵便物さえ異常が認められたことがあります。この手紙も、無事に発送までこぎつけられるか不安ですが、取り急ぎ、今日中に郵送するつもりです。
尋常ならぬ状況のため、説明不足の点が多々あることをお許しください。私といたしましては、すべては事情聴取によってお話できますし、その方が、時間的な問題が節約できると思われます。文書で表すには、私にとってあまりに時間がかかりすぎ、その間に状況がどう変わるかも知れないので、大変不安です。
どうか、事の重大さを十分に汲み取って、早急に、調査を開始していただきたく、お願い申し上げます。




先ほどの警視総監宛てのメールに追記いたします。

ある公的機関が行っている活動とは、どういうことかと申しますと、非科学的な方法を使って行っている特殊な調査のターゲットにされているということです。特殊な調査とは、私の側から言わせていただくと、生体実験と何ら変わりないということです。つまり、極秘に行われている重要な実験の被験者にされているわけですが、これは私が了解して被験者になったということではなく、私の知らないところで、私の身辺を調査した上で選ばれたのだと思います。つまり、私が偶然にターゲットとなるべき条件をすべて満たしていたということになります。その証拠に、私が身辺に異常を感じ始めてからすでに4年が経過しており、約一年前の1999年5月27日にはっきりと私の身の上に何か異常な事態が始まったと感じてから今日まで、私はどこに救いを求めるすべもなく、被験者になり続けているしか方法がなかったのです。
多分、信じていただけるのは難しいと思いますが、行われている調査が、法というもののしくみの盲点を突く形になっているために、被験者にとってはどこにも救いを求めようがない、実験者側にとっては犯罪および人権侵害として訴えられる恐れの極めて低い状況の中にあるということがご理解いただけるでしょうか?つまり、「非科学的」な方法と申しましたが、科学的に立証することの難しい方法を用いた、極秘調査であるわけです。物的証拠が残りません。しかし、明らかに被害者は私のほかにもおり、実名と所在をあげることはできます。事情聴取にも応じてくれると思います。
あえて調査という言葉を使いましたが、実際、被験者側から言わせていただくと、人体実験と言っても語弊があるとは思えません。被験者というより、私は被害者として、何とかこの状況を変えていただけるよう、思い余って、直接こちらの方にお願いする決心をした次第です。
1996年8月半ばに、私は文京区本富士警察署に逮捕され、不起訴処分になりました。あまりに激しいこの暴力に耐え切れず、本郷3丁目交番に駆け込みました。おそらくドラッグに関係がある、と感じたので、麻薬取締捜査官に知っている人がいましたので、相談しようと思い、中目黒の麻薬取締捜査官事務所の電話番号を聞きに行ったのです。しかし、番号は教えてもらえず、その場で逮捕となりました。麻取事務所に提出しようとしていたある証拠物件を不法所持物件として押収されたからです。この時、私は私を逮捕した巡査が「なぜ逮捕したんだ」と上司から叱責されるのを聞きました。このことからも、私がターゲットあるいは実験のモデルかもしれないと推測できます。
その日、私は警察病院に連れて行かれ、注射を打たれて、意識を失い、気がついた時は留置場にいました。
麻取の人には会うことができず、弁護士を呼びたいと言っても無視されたあげくでした。この時のことは本富士警察でくわしくお聞きになってください。多分、どうしてそういう処置をしなければならなかったかという理由は説明があると思います。
私は、覚醒剤の所持容疑で不起訴になり、実家の長崎市にいったん帰りましたが、その間に私の家に出入りしていたアメリカ人が、麻取事務所によって覚醒剤取締法違反で逮捕されたことを、本富士署で私の事件を担当してくださった方からの電話で聞きました。その年の11月、東京の仕事に戻り、翌年97年5月半ばに健康を害して再び長崎に引き上げるまで、いろいろな体験をしましたが、今はここでそれを細かく書き綴っている時間はないと思います。
約1年半を長崎の親元で過ごして、98年12月始めに、念願の職場へ復帰しました。ところが、あれから3年経った去年の5月の末から、また以前と同じ異常な出来事が私をめがけて襲ってきたのです。その異常な出来事というのが、先に申し上げた特殊な調査もしくは実験、あるいは新しい捜査方法とも解釈することができますが、結局、事の真相と真の目的は私にはわかるはずがありません。 他にも申し上げたいこと、調査していただきたいことはあるのですが、書き記すのに時間がかかりますし、インターネットは妨害され、PCはスキャンされているので、少しづつ、お送りします。内容はすべて真実で、調べていただければ、わかります。それから、 ????@po.teleway.ne.jp このアドレスを調べていただければ何かわかると思います。





警視庁警視総監殿

一連のメールの続きです。
本富士警察署を調査していただくさいに、インターFMという
ラジオ局との関係を慎重に調べてくださることをお願いします。港区芝浦4-5-4、ジャパン・タイムズ・ビルディング内にある
FMラジオ局が、インターFMです。

私はこのFM局を96年から97年当時、毎日聴いていましたが、ラジオを通じて中傷されるという、信じられない経験をしました。番組のほとんどは英語で放送されていますし、開局が96年4月ですから、一般には、あまりなじみのないラジオ局だと思います。

96年のアトランタ・オリンピック開催当時、ニュース番組の形をとって、オリンピックの情報に見せかけ、何か別の情報を流していました。たとえば、「オーストラリアン・チーム、何ポイント、アメリカン・チーム、何ポイント、ジャーマン・チーム、何ポイント」というものです。ニュースとして聴くには、明らかに不自然で、奇妙なのですが、おそらく限られた人々の間で、意味ある情報として受け取られていたはずです。

英語放送だからできたことだと思いますが、いかに日本人が英語に弱いかという証です。聴いていれば明らかにおかしいと思うはずなのに、白昼堂々と公共の電波を使って東京で行われていたのです。何が行われていたのかは、本富士警察署で調べていただくか、私の知っている証人としては、ドイツ人のロベルト・アントニオ・ディートリッヒという人がいます。現在、小菅の東京拘置所に拘留されていますので、当時のことを事情聴取していただくと、かなり重要なことを話してくれると思います。彼の逮捕についても疑問点がいろいろありますので、できれば詳しい調査と、彼の協力次第で、情状酌量をお願いいたします。

諸処の事情が絡み合った複雑な事件となるでしょうが、この事件の重要な構成要素となるのは、覚醒剤です。このために証言を集めることが困難になるかもしれません。思いがけない領域まで覚醒剤は浸透しており、捜査が滞る原因になると思います。



事実として重要な事柄

もっとも重要なことから先に申しますと、麻取事務所は、1994年、ある外国人を新宿で逮捕し、麻薬の売人と知りつつ、麻取の協力者として情報提供する代わり、妻と二人分400万円の保釈金を収めさせ、英文の捜査マニュアル(DEA発行のもの)を与えて釈放し、そのまま彼が麻薬を売りつづけるのを黙認していた、という事実をたまたま私が知ってしまった、ということです。
このことを知っているのは、当事者以外に私しかいないと思われます。この件に関しては、私は唯一の証人なのです。
私はこの外国人と交際したために、覚醒剤の中毒に陥り、苦しい思いをしましが、私が彼と親しく交際を始めたのは、彼が保釈になった後のことです。つまり、麻取事務所が職務に忠実に、法のもとで正しい裁きを行うという当然の対応をしていたら、麻薬の売人歴の長い彼は、確実に実刑の判決を受け、私は彼と交際することもなく、覚醒剤の中毒を悩み、苦しい思いをすることもなかったでしょう。
現在、私は覚醒剤等の違法薬物は一切使用しておりません。 彼が覚醒剤を売りつづけたことで、私と同じような体験をするはめになった人が、他にもいないといえるでしょうか?売人を釈放してしまったということは、このことから考えても、大変罪が重いといえます。
麻薬を売り歩くのを知りつつ放置したうえ、DEAの捜査マニュアルを渡し、協力者
(情報提供者)として、逮捕しないという特典まで与えて、麻取事務所はその売人が作る覚醒剤使用者を逮捕している、という信じられない図式が浮き彫りになってきます。この売人は外国人で、現在も港区に在住しており、住所、名前もあげることはできますが、ここではあえてそれを書く必要はないと思います。
ホースに空いた穴をふさがないで、床にあふれた水をいくらバケツで掻き出そうとしても、いつまでたっても床は乾きません。ホースの穴をふさぎ、蛇口を閉めることをしなければ、何の解決にもなりはしません。
それともあえて仕事を増やしていかなければ、麻取事務所はすることがなくなってしまうのでしょうか?もっと他に手をつけるべきことはいっぱいあるように思います。



一部メールアドレスを削除いたしました。
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