21年間の沈黙を破り、オリンピックプールが蘇る



 1975年に閉鎖されて以来、これまで誰一人として、オリンピックプールを再開することはできなかった。国際的な規模を持つこの施設は、しばしば起こる戦争と、長期間手入れされなかったことにより、傷み、破壊されていった。
 1994年、プールの改修に手がつれられはじめた頃には、オリンピックプールは過去の栄光の影を残すだけの、廃墟同然の建造物にすぎなかった。

 フランス人、パスカル・ドゥソーは、カンボジア人の水泳チャンピオン、ヘム・トン氏とともに、カンボジア政府とオーストラリア大使館の協力のもと、プールの再建に乗り出した。

 パスカル・ドゥソーは現在、コング・リチィ・チュップFKNA(=クメール水泳連盟)会長の元で、オリンピックプールのマネージャーをしている。

「プールは近代の基準とは、まったくかけ離れた状態にありました。まず、プールを他の競技場と隔離する作業にとりかかり、ポンプを交換、そして上下水道管を点検し、電気を設置しました。次は近代風な更衣室をつくり、プールの状態を国際水準までもっていくようにするつもりです」

 オリンピックプールは、すべての人に門を開いている。カンボジア人の入場料は外国人よりも安く設定されている(外国人は二ドル)。

「プールを清潔で好感のもたれる場所にしてゆきます。そして、貧しい人々や子供たちにも利用してもらえるよう望んでいます。もしかしたら彼らのなかから近々、オリンピック・チャンピオンが生まれるかもしれませんね」

 と、パスカル・ドゥソーは微笑んだ。

 FKNAは水泳用具も貸し出している。最新のスキューバ・ダイビング用具もフランスから到着した。水泳指導者、監視人も、国際水準の免許を持つ者たちであり、水泳・潜水コース、高飛び込み、ウォーターポロ等の講習を計画している。

 FKNAはカンボジア国内すべての潜水活動を管理する方向で、たとえばバッタンバンやコンポンチャムのプールをも再開させる意向である。

 基本的な改修工事が終わり、96年11月の公式再開のあと、地道な運営の結果、プール入場者は一日平均百名以上に達し、アトランタ・オリンピックにも最低人数とはいえ選手を送った。

 恒例のナショナル・カップ(11月)、およびミロの後援によるメコン横断水泳大会などのイベントを催し、その活動はカンボジア政府にも大きく評価されている。それとともに、プールや周辺設備の改修も少しずつだが続けられている。

 改修費用はプールの入場料、および後援各社の広告による収入で賄われているが、昨年七月の政変以降、現在にいたるまでの経済低迷は、連盟の運営にも大きな影響を及ぼしている。

 30年近い混乱のなか、プールの維持は一切行われておらず、設備はあるものの全く機能していない。更衣室・トイレ・シャワーなどの改造、電気系統の整備、古い水道管の交換などは、プールを国際水準に引き上げるためにも必要不可欠だが、七百万円ほどの費用をいまだ捻出できず、11月に予定されているナショナル・カップにも、近隣諸国の選手を招待できない状態にある。オリンピックプールでは、いまでも個人・団体問わず、スポンサーを求めている。

FEDERATION KHMERE DE NATIONAL AMTEUR
KHMER AMATEUR SWIMMING FEDERATION
SWIMMING POOL OF OLYMPIC STADIUM

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